2012年11月4日日曜日

こ〜まい祭りにて




こ〜まい祭りが始まり、有佐さんの展示もされた。こ〜まい祭りではわたがし屋さんやお酒、からあげや焼きイカなどの屋台や高校生バンドやおじいさんのアコースティック、アニメソングのビックバンドなどのステージと、大人からこどもまで楽しめる内容になっていた。体育館ではクラブや教室に習う人たちの作品展示や小学生、幼稚園、中高生の作品展示もあった。端っこには健康チェックのコーナーやバザー、農作物の品評会などもあり、町民みんながそれぞれ自己表現を発表しているといった感じだった。「こ〜まい(ちいさい)」というのはそういった個人の表現のことを指しているのかもしれない。
野菜はどれも立派で美しく、作品展示もキレイに仕上がったものばかりだった。

そんな中で有佐さんの作品は展示された。体育館の一角でもなく、公民館の二階<中会議室>にあがると、真っ暗な部屋があってそこに有佐さんのつくった作品を設置した。みんな暗い部屋だから、ちらっとみて立ち去る人もいれば、ずんずんと入っていき、作品を鑑賞する人もいた。作品自体は「プレゼンの上手い地蔵に出会った」というタイトルで、地蔵が静止画で映っているモニターと、「地蔵について」を文字だけのプレゼンテーションでされプロジェクターで投影されている。また、そのスライドに合わせて地蔵の声の音声が流れてきて、鑑賞者にプレゼンしているものだった。

アンケートを設置したら、「地蔵について詳しく理解できました。」「地蔵が話すのが面白い、不思議」「地蔵の見方が変わった」「文化祭だから文化的なものがあっていいなと思いました」など、感想はいろいろ出て来た。それは作品を展示する前に想定していたことは違った反応で驚いたけれど、それがリアルであり。有佐さんが触れたかったものはそこじゃなくて、他にあったことは、作品を展示する前に有佐さんの話を聞いていた私はすぐにわかった。

この届かない感じは、鑑賞者が良い悪いとかの問題じゃなくて、作品側の話でもあるけれど、作品側だけの問題なのか??というギモンもある。それは地域の中にアート(ここになかった異物)をポンと置く事が、ゴミにもなったりすることだってあり得ることを考えたときに、事業側もきちんとその作品を置くこと(アーティストを迎えること)に対して、ちゃんと下準備が必要なのだと思う。アート作品を作るのはアーティストだけど、アート作品をこの地域に置くことは、事業側の問題であって、共犯者みたいなものであり、「作品が完成してよかったね」じゃない。ましてや、極端に例えたときにアート作品がゴミになったとしたら、それは作品の責任じゃなくて、事業側の問題だったりする。事業側の下準備というのは運営や処理方法とかの物理的なことじゃなくて、事業側としてなぜここにアート作品を求めるのか、っていう。

有佐さんも展示してみてわかったことも多く、次の展示はどうしていくのか、有佐さんと一緒に考えていかないと。

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